1章 青年時代

1―1*居酒屋

1854年 江戸湾

凍てつく風がふく一月の極寒の中、居酒屋では、大体三つのグループが飲んでいた。 一つ目は、三人の浪人もの。二つ目は、四人のやくざ者。どちらも、相当酔っている。三 つ目は二人の侍。
浪人たちは世を嘆いている。そして、やくざ者たちは水のように飲む焼酎に相当 酔っているようで、今にも暴れだしそうだった。 のみっぷりも激しく、やくざ者たちは、周りにからみだした。 最初にひとりのやくざ者が浪人たちの机をひっくりかえした。 次は、別のやくざ者が二人の侍にしゃべりながら、あとの三人のやくざ者を手招きした。 酔った勢いでフクロだたきにするつもりらしかった。
しかし、そのやくざ者は、どことなくかわいげがあったから一人の侍は握手のつもりで手を 出した。 やくざ者はその手をつかんでボクシングのジャブのように反対のこぶしを出した。
瞬間、やくざ者の想像もつかないようなことがおこった。 侍の上体がしなり、やくざ者はなぜかつかんだ手を離せず、そのまま吸い寄せられるよう たたらを踏む。 つながった手はかえすよう上にふられ、侍の空いたほうの手のフォローが、反転してしま った背中を押した。
やくざ者は、三人の仲間の真ん中に二メートルほどふっとんで薙ぎ倒した。 侍は、一歩も動いてないように感じられ、やくざ者たちはあっけにとられた。 侍は、無表情のまま長刀を抜いたので四人のやくざ者はあわてて逃げ出した。
この侍、身の丈180cmほど、丸い禿げた頭には、二、三の傷があり、その一本は15 cmを超える。 眼は白目がわからない黒のビー玉のようで、着物は新しくはれぼったい。
『毎度、おぬしの柔術には、ほれぼれするわ。剣の動きがそのまま体現してる。』
『艦之助、お前が出てこないで良かった。おまえは斬るばっかだ。』 この侍、関 万三郎は、悲しげなまなざしをしてから、立ち上がった。
去年、 1853年にペリーが蒸気船をひきいて浦賀にやつてきた時、万三郎は、直感的に 日本の鎖国の崩れてくさまを予想した。 つまり、四隻の外国の軍艦を見て西洋の持つ経済力の巨大さを実感したのであった。 そうして、万三郎は幕府を見限り、勝海舟や吉田松陰のいる佐久間象山の塾に教えをこう たのだった。 二度目のペリーの来航の時、吉田松陰は黒船にひそかに乗り込もうとして幕府に捕まって いる。 幕府はその後ペリーからアメリカの国書を受取り、返事を引き伸ばした。
日本は鎖国して、アメリカと戦うか、開国するかを迫られたのだ。 幕府には、この決断はできず朝廷に意見をうかがう有様で、この時、日本の第一権力は、 朝廷にあったといえるかもしれない。
そして、今、 1854年、一月、ペリ一はさらに多くの軍艦をひきいてやってきた。 万三郎は、江戸を愛していた。 しかし、もうすぐ、日本の中だけで安心していられる時代 は終わるのだと、万三郎は感じていた。
『艦之助、一月だというのに暑いな。』 『ぬし、防弾チョッキを着て、あたりめえだ。』
この防弾チョッキは、万三郎が銃撃を想定して作ったものだ。

1―2*切り込み

1854年 横浜

二月になり、ついに、横浜で、ペリーと日本全権との交渉がはじまる事になり、士官、水 兵、海兵隊あわせて約500人が横浜に上陸してきた。
万三郎は、いてもたってもいられなかったが、最初の計画を実行するよりなかった。 それに、ここで目立つ動きをしたら、ライフルの標的になるだけだ。
万三郎も民衆も黒船を非常に恐れているのは事実だ。 しかし、万三郎は考えていた。 一日本が黒船と対等に張り合えるレベルになるまで、日本国民の気持ちを引き上げるには、 誰かが、ペリーを斬るしかない― そして、今日を除いて、チャンスは無く、万三郎はそのために交渉の行われる会見所に昨 晩忍び込んだのだ。
アメリカ兵士の行進が終ると、ペリーが数人の侍について、会見所に入ってくる。 万三郎は、物陰から滑るように飛び出す。同時に刀を抜いているo
柔術を修行した万三郎 は、まばたきをするぐらいの間にすばやく、なめらかに動けるのだ。
 しかし、ペリーも早 い。拳銃をぬく。すでに、万三郎、侍達をすりぬけて間合いを縮めていた。 会見所に破裂音が響き渡った。

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